奄美大島ってどんな所

奄美群島は、亜熱帯気候の島で太鼓の昔に地殻変動により中国大陸から分離したり、サンゴ礁が隆起したりして出来た島々には世界でも極めて珍しい動植物が生息し、文化的には琉球と薩摩の影響や奄美独自の物が融合するなど非常に特異な文化を形成している。

2016年12月に環境省より34番目の国立公園の設置、2021年7月26日に世界自然遺産登録(奄美大島・徳之島・沖縄やんばる地方・西表島の4か所)

平均気温は21度と四季を通じて温暖な海洋性亜熱帯気候に有り、雪や霜も殆ど見られず、樹木は常緑のままで年間を通じて色鮮やかな花が咲き誇る。

特に夏が長く(6月~10月)秋と冬が短いのが特徴です。

昔から奄美の島々で暮らす人々は、星の動き、季節風の変化、渡り鳥の移動や潮の干満などから季節を的確に捉える自然暦で農業や漁など営んできた。

月の満ち欠けによって出来た太陰暦(旧暦)は、自然と共に暮らす島の人々には理にかなっている。


奄美の歴史

奄美は支配層により、奄美世(アマンユ)、按司世(アジュ)、那覇世(ナハユ)、大和世(ヤマトユ)に時代区分されることがある。

奄美世は、原始から8~9世紀までの階層社会以前の共同体の時代。

「日本書紀」には、7世紀頃から阿麻弥(アマミ)【奄美大島】、渡感(トク)【徳之島】の来朝があったことが記されている。

また、この時期から8世紀半ばまでは遣唐使船の南島路の通路としての奄美は重要な役割を果たしたこともあった。

按司世は、8・9世紀~15世紀まで。

島内は按司と呼ばれる首長たちの支配する階級社会の段階に入る。

那覇世は、琉球王朝統治時代。

15世紀半ばから1609年までを言う。

大和世は、1609年の薩摩藩の侵攻以降を言い、島津氏の直轄地として、サトウキビ栽培を強制させられた。

島民の生活は窮乏し「黒糖地獄」と言われる。

第二次大戦後の「2.2宣言」により奄美は日本から行政分離、アメリカ軍政下におかれ、8年後に非暴力の運動により、日本復帰が実現した。